エステル記4章10-5章8節 使徒言行録13章13-25節
1)ヨハネは一行と別れる
危機とは突然私たちの人生に訪れます。予兆があるのかもしれませんが、気づかぬことが多いために、突然起こったようにしか私たちには分かりません。パウロとバルナバの伝道が、現在のトルコに進む時に、マルコと呼ばれるヨハネが突如パウロたちを離れてエルサレムに帰国してしまうという事件が起こっています。何故ヨハネが突如帰ってしまったのかは謎です。ただこの後もヨハネのこの行動の故、パウロはバルナバと激しい意見の衝突をし、別れ別れになってしまったことを使徒言行録は伝えています。若いマルコの気まぐれなどと若者批判の材料にされてきた出来事です。マルコと呼ばれるヨハネ、彼はマルコによる福音書の著者であるとされています。ヨハネはイエス様とも接点があり、後にペトロの通訳も行っていて、ペトロから伝えられたことを元にマルコによる福音書を書いたとされています。またパウロとも和解し、ローマで軟禁状態となっていたパウロを支えてもいたと言われています。ですから今は別れ別れになっている者たちも、そのままではいられませんし、再び出合い、和解する時がやって来るのでしょう。パウロとバルナバを激しく衝突させたのは何事だったのでしょうか。そこには信仰、伝道、教会に関する重要な意見の違いがあったものと思われます。
2)神を畏れる方々
ピシディアのアンティオキアという町で、パウロとバルナバは、ユダヤ教のシナゴーグを見つけ、礼拝を守りました。ユダヤの礼拝では、会堂長が礼拝を司式し、何時も礼拝に出席している人ではなく、旅人として礼拝に出席している人の中で、お話をしたい人が指名されます。パウロは、指名を受けて、話し始めます。イスラエルの人々、そして神を畏れる方々、つまりユダヤ教に改宗した異邦人たちに向けてパウロは語りだします。神様が神の民を育てるのに40年かかったことが示されています。しかもその40年は、疑いと不満と不信仰との戦いの年月です。神様への信仰は、1日2日で完成されるものではありません。イスラエルと呼ばれるヘブライ人たちの歴史、物語をご覧ください。ヘブライ人たちが神の民となるのに、神様が育てても40年かかっているのです。たかだかエジプトからパレスチナに移動するのに40年もかかっているのです。普通なら1週間もかかりません。ところが神の民が40年もかかったのは何のためでしょうか。にんにくのためです。葱、玉葱、西瓜のためです。肉が食べたかったからです。不満を言い、こんなところに来なければ良かった、と神様と出会ったこと、神様に選ばれたことをもはや意味のないこと、無駄なこととつぶやきあう人間たちの身勝手さのために1週間は40年になってしまうのです。忍耐して待っている方があるから1週間が40年になっても、まだ私たちには希望があるのです。救いがあるのです。赦しがあるのです。そして、忍耐して待ってくださる方、神様だけではありません。いつも私たちと神様とをつないでくださる仲介者があることの大きさを、ありがたさを私たちは忘れてはならないのです。いつも私たちを愛し、私たちのために耐え忍び、待ち続けている神様があること。いつも私たちを神様へと導き、心を向けさせてくださるイエス様があること。この大きさを覚えましょう。私たちはこの間の地震でも人間社会にとってライフラインが大切かを知らされたばかりです。私たちを愛し、私たちのために忍耐し、私たちを赦している方、この方が私たちのライフラインです。