2018年5月27日 朝礼拝 『神と共に歩む人生』 杉田典子牧師

申命記6章4-9、ローマ8章12-17

コヘレトの言葉に、「神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる」、とあります。複雑ではなく、単純な、神は愛であるとの話をいたします。人間は神様を知らなければなりません。神様が求めることは何かを知ることが必要です。それで初めて神の御心を成すことができるのです。行いの伴いわない信仰は死んだものだ、とヤコブの手紙の御言葉があります。いつも聖書を読むことが大切です。信仰と生活の基準なのですから、毎朝読まなければなりません。聖書日課だけでなく、1章ずつ読んで行きます。習慣化することが必要です。今頃になって聖書がいかに素晴らしい書物か知らされています。クリスチャンの生活は、形を持ってなして行くことが大事です。この世界は、神様の愛とは正反対の欲望にまみれた生き方がなされています。テレビを見ても、新聞を見てもそうです。このような人々の中にあって、正しく清く歩んで行く、その群れこそ神様の教会です。イエス様を自分の救い主として信じて、洗礼を受けて、教会に居場所が与えられていることは素晴らしいことです。そして、永遠の命です。永遠というのは長さを考えますが、長さではなく、神様と共に生きる、交わりが永遠の命です。この地上の命はやがて亡くなり、葬られます。神様のみ言葉を聞き、神様と共に歩んで土に還っても神様との関係は終わることがありません。終末の日まで続くのです。私たちが死んで、葬られる。ただし、私たちは神様と共に生きているとはどういうことなのか?1コリント15章に記されています。人に聞くのもいいけども、聖書のことは、聖書に聞いてください。聖書を読んでください。
  わたしは、神戸の須磨で育ちました。日曜学校で、小2、3から聖書の話を聞きました。しかし戦争。敵国の宗教、伝道所は閉鎖。軍需工場へ行って、朝から晩まで働かされました。終戦後、兵庫県西脇で生活。西脇教会の路傍伝道に導かれました。その教会に出席するようになりました。日曜日は朝から晩まで教会にいました。聖書が示している神様は、聖書を読むことで、人格的に交わってくださる神様である、と知るようになりました。神様を知ること、永遠のいのちを与えられる存在となるようしっかりと結ばれています。わたしは来年、90歳になります。今まで3回死にかけました。生まれて間もなく死にかけました。神戸空襲で死に掛けました。爆風で左手が骨折、焼夷弾が破裂して背中に。最後は左足の裏に。ただしあまり出血しなかったのです。薄いおかゆばかり食べていたので、出血する血もなかったのです。倒れていたところを、姉に発見されて助かったのです。神様の方が一人一人のことをよく 知っているのです。最高の有意義な人生を送るために、神様が私たちの罪を、愛する我が子イエス様に負わせました。そして私たちは自分たちの罪が許されました。神様との関係を与えられて、生きるものとされたのです。人間が考え出したことではなく、神様の御心を示す書物が聖書です。深い深い神様の御心を知ることができます。6年前ぐらい前、大腸癌になりました。大きな癌でした。摘出手術をしました。それでも今また元気になってお話できるようになりました。これも奇跡だと信じています。神様との関係は世の終わりまで、この関係を保ってくださる、という約束を与えてくださっているのです。この1週間も元気で、一番親しい人に神様の愛を伝えてください。