2017年12月10日 朝礼拝 『言葉』木谷 実伝道師

エレミヤ書36:1-10、マルコ 7:1-13

 神様は言葉によって世界を創られました。そして言葉によって世界を守ってこられます。数々の信仰者たちに神様の言葉が臨み、人間はそれによって導かれていきました。神様の言葉を預かり、人々へと伝えたのが預言者です。預言者の一人であるエレミヤは、神様の言葉を巻物に書き記すよう命じられました。神様は人々が悪から立ち返るために言葉を残しました。預言は書き記され、弟子が人々へと伝えます。その言葉は王様のもとまで届きました。しかし、王様はその言葉を聞いて立ち返りませんでした。巻物を切り刻み、燃やしてしまったのです。

 イエス様は律法学者たちから、食事前に手を洗わないことを咎められます。しかし、それは律法に定められたことではありませんでした。人間が律法から解釈して作った掟です。それに固執してしまい、人間は掟を律法と同じ効力を持つものとしてしまいました。イエス様はそのような者たちを「あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。」と言っておられます。人間は神様の言葉を無にしてしまう掟を作ってしまったのです。

 預言者の時代とイエス様の時代で、神様の言葉を無為にしている人々の様子が記されていました。では現代ではどうでしょうか。聖書や礼拝を通して私たちには御言葉が与えられています。神様の言葉が臨んでいるのに、それを捨ててしまう。これは神様から離れてしまう人間の罪ある姿です。都合の悪い言葉を捨ててしまう人間の弱さです。聖書はそのような人間たちへ、神様の言葉が大切であるというシンプルな事実を伝えているのです。

 しかし、神様は人間の弱さをご存じです。神様はそれを知っておられながら、私たちに一つひとつの御言葉を残して下さいました。神様の言葉は人間が消そうとしても消ません。人間が燃やしても、無視しても、疑ったとしても、神様の言葉は実現していきます。それを無かったことにしてしまうことは、人間には出来ないのです。

 クリスマスの出来事も言葉の実現でした。マリアがイエス様を宿したとき、ヨセフが密かに縁を切ろうとしたとき、生まれた後に殺されそうになったとき。イエス様が誕生してからその後に至るまで、生き残るためにはいくつもの困難がありました。しかし救い主を与えるという預言は実現しました。御心のままに、救い主としての活動をイエス様はしていかれます。人間の教えではなく、神様の言葉が世に適っていくことを、イエス様は自らの生きた姿によって示されました。人間の思いや不安、疑い。それらを越えたところで神様の言葉は実現されていくのです。

 神様は私たちが立ち返るために、御言葉を送って下さいました。立ち返るとは悪い所から反対の場所である、良い場所へと帰っていくことです。神様の言葉によって私たちは良くない状況から、神様のもとへと立ち帰るのです。神様の言葉はそのための戒め、励まし、慰めです。多くの御言葉がある中で、必要な人に必要な言葉が与えられます。それらは人間がどのように扱ったとしても、必ず実現するのです。実現するまで何度でも、何度でも言葉が与えられていきます。私たちは神様の言葉が与えられ、その毎日を生きています。厳しい言葉もあるかもしれません。優しい言葉で包まれるかもしれません。その一つひとつは私たちに与えられ、実現してきます。与えられた言葉に聞きながら、クリスマスを待ち望んでいきましょう。