イザヤ 33:17-22、黙示録 7:9-17
1)黙示録
今日はヨハネの黙示録を与えてくださいました。文字通りに読むのではなく、そこに象徴されていることを読み解くことが必要な文書です。今日の箇所は第7の封印が開かれる前の段階です。神様は世界を新たにする時に7つある未開封の書物を開いて行かれます。これまで隠されていたことが明らかになる、それが黙示ということです。その前に、有名な選ばれた人々が呼び集められます。7章1~8節までのヤコブの息子たちから出たイスラエルの12部族それぞれから1万2千人の人々が呼び集められています。これをその文字のまま読んではいけません。例えばこれをそのまま読むと旧約聖書の最初の人から一人ずつ数えることになり、あっという間に14万4人です。たったそれだけしか救われないのか、何故数が決まっているのか、神様の愛の大きさから言うと全く説明になっていません。ここにはある1部族が欠けているということが大事なのです。ダン族が欠けているのです。黙示録はダン族が神様に背き、反キリストになると訴えているのです。神様に背く力は外側あるのではなく、内側から起こって来るということです。又各部族は大なり小なりあるのに各部族から必ず平等に公平に神様は救いの御業をなさっているということを示しているのです。
2)数えきれないほどの大群衆
9節以下は、あらゆる国、民族、違いのある人々が神様の前に呼び集められているのです。ユダヤの人だけではないのです。彼らは誰にも数えられない、とあります。とても多くて数えられないのです。そして誰も数えてはならないのです。数えるのは神様だけだからです。まだまだ神様は救おうとしているからです。
3)白い衣を来た大群衆
数えきれない大群衆は、神様と神の小羊であるイエス様を中心に、礼拝を守っています。良く天国では暇で何をするのか、と疑問を持たれる方があります。私にも分かりませんが、暇なことはありません。これまで私たちが知らなかった全てが分かるのです。隠されていた全ての事を知ることが出来るのです。どんなに時間があっても足りません。神様とイエス様を中心に礼拝を守れる。こんな素晴らしい時はありません。
4)彼らはどこから来たのか
そんな時に長老の一人が言います。彼らは誰か、どこから来たのか、と知っているのにこれを問いかけています。彼らは大きな苦難を通って来た、と証言しています。大きな苦難とは、例えば殉教のことでしょう。少なくとも困難を乗り越えて来た人々です。黙示録の光景は、神様のおられる天国でのことでしょうけど、わたしたちの苦難は天国から始まっているのではなく、今ここから始まっています。私たちの地上での信仰生活が天国へとつながっているのです。何か特別なことをせよと言うのではありません。イエス様が教えられたのは、神様を愛すること、隣人を愛することです。神様と共に生きて行くこと、隣人と共に生きて行くこと、ただこれだけです。共に生きて行くことは決して簡単ではありません。ですが私たちのこの苦労が、天国へとつながるのです。この数えきれない大群衆は、小羊の血でその衣を洗って清くした者たちです。私たちはイエス様が神の子キリストであると信じています。ご自分の全てを犠牲にして私たちを生かしてくださっていることなくして、どうして私たちは生きられるでしょう。数えきれない大群衆は、小羊の尊い血を知っている人々です。数えきれない大群衆の地上の旅路が終わった時、彼らを苦しめる者はもはやありません。全ての事は過ぎ去ったからです。