エレミヤ10:1-10a、ルカ24:44-53
1)昇天
わたしたちを信じさせてくださるのは、私たち人間の力ではなく、神様の愛にあるということを確信しています。しかし今日イエス様は、ルカによる福音書を通して、イエス様の事は、聖書の中に既に記録されていると教えてくださっています。聖書は、わたしたちに神様をイエス様を教えてくださる教科書として存在しています。イエス様ご自身も、聖書は私について証しするものであると証言されています。
2)メシアの苦しみ
イエス様のおっしゃる聖書に書かれている真理とは、メシアの苦しみ、ということです。神様が私たちのためにお遣わしになるメシア、キリストが苦しまれるのです。何故神のメシアであるイエス様が苦しまなければならないのか。それは私たち人間は、沢山の人々の労苦に支えられて生きているからではありませんか。わたしたちは自分の力だけで生きているなどと考えているならば、それは奢った生き方しかできません。他の人々を見下した生き方しかできません。私たちを作っているのは、多くの人々の労苦と涙と祈りです。神様がイエス様にメシアとしての苦しみを与えられたのも私たち人間をイエス様が負ってくださっているから、私たちのためにイエス様が血を流し涙を流して愛してくださっていることを知って生きるためです。私たち人間たちは、今でも頑なで神様の事が信じられないことがあります。それでも人間たちが生きて行けるように、赦され、救われるように、神様はわたしたちのためにどんなに忍耐して下っているでしょう。
3)その名によってあらゆる人々に
先週金曜日、高松教会の高校生会OBの皆さんが丸太町教会を訪れてくださいました。京都丸太町教会をとても良い教会ですねと褒めてくださいました。20年以上も経っているのにどうしてこんなにきれいなのですかとも聞かれました。それは愛する兄弟姉妹たちが大変苦しんでくださったからです。神様とイエス様のために。愛する教会のために苦しんでくださったからです。兄弟姉妹が一生懸命労苦して捧げてくださったからです。日本全体の教会の伝道宣教が今現在意気揚々であるとは言えません。どちらかといえば大変苦労していると言えます。では何故苦労しているのかといえば、未来のためです。神様とイエス様が私たち人間の未来のために苦労してくださったから、今人間の未来があります。私たちの愚かさや頑なさを神様は侮蔑するのでも見捨てるのでもなく、私たち為に苦労してくださっています。それは私たちが神様の愛によって未来を見るためです。遂にはあらゆる人々が神様の忍耐を知り、イエス様の苦しみを知り、自分たちに与えられた神様の愛を知って、神様の所に戻るためです。
4)高き所からの力に覆われるまで留まれ
宗教改革の始まりとなったマルティンルターという信仰者は、元々宗教改革をしようなどとは考えていなかったと言われています。ルターは自分自身が神様に愛されるだけの人間ではないという事だけははっきりと分かっていた人間です。だから何とか神様に愛される人間になろうとして生きて来ました。しかし努力してもルターは神様に愛されているという確信が持てませんでした。ところがある時からルターは変わって行きます。それは一生懸命自分の力で神様に愛される人間になれるように努力したのですが、それは無駄だったことに気付かされたからです。自分には愛される資格がなくても神様は最初からずっと私を愛していることを知ったからです。わたしたちもそうです。神様に愛される何が私たちの中にあるのでしょうか。何もないように思えるのですが、神様は私たちを最初から愛してくださっています。神様が私たちのために苦労してくださっています。イエス様が私たちのために血を流し、苦しんでくださっています。メシアの苦しみは、聖書に最初から記され、伝えられて来ました。そしてメシアの苦しみを知った者たちは、聖霊を受けます。