2017年4月9日 朝礼拝 『十字架から降りて来い』大賀幸一牧師

哀歌5:15-22、マタイ27:32-56
1)パームサンデー 
 イエス・キリストがこの1週間歩んだ道をご紹介します。今日は、パームサンデー、棕梠の主日と呼ばれています。今日イエス様は大歓声で、大勢の人々から喜ばれて、エルサレムという町に迎えられました。しかもイエス様は1頭のロバに乗ってやって来たのです。ロバは穏やかで頑固な生き物です。イエス様がロバに乗ってやってきたのには理由があります。イエス様は、神様に遣わされて、平和のために来たことを示す為なのです。そして木曜日、イエス様は弟子たちと最後の晩餐をいたしました。その夜、弟子の一人だったイスカリオテのユダという人物の手引きで、イエス様は逮捕され、裁判にかけられ、そして処刑されました。自分がどのようになるのか私たちは明日の事もわかりませんが、イエス様は明日自分がどうなのかを知りながら道を進んでいます。イエス様が十字架刑というもっとも恐ろしい処刑で死なれたのが、金曜日です。それから3日後、つまり来週の日曜日は、イースター、イエス様の復活の朝を迎えるのです。

2)十字架から降りて来い 
 十字架にかけられたイエス様の姿を見た人間たちは、とてもひどいことを言っています。十字架から降りて来い、そうしたらお前を信じてやる、と。こうした言葉こそが意味のない言葉、同胞会の皆さんがいつも毎日共に生きて行こう、歩んで行こうとしていることをぶち壊し、疑いを持たせるような言葉です。まだ未成熟なので、大人の様には出来ないことも多いこどもたち。しょうがいがあって、しょうがいのない人のようには出来ないことも多いしょうがいのある人たち。しかし時に人間たちは、何も出来ない役に立たないもの、生きていても意味がない、などとひどい言葉が投げかけられます。同胞会は、わたしたちみんなが、こどもたちも大人たちも、それぞれあるがままに生きることを大事にしようとして来ました。しょうがいがあってもしょうがいがなくても、それぞれあるがままに生きて行くことができる。それが当たり前であることを求めています。皆さんが毎日出会ってくださっているこどもたち、しょうがいのある人たちのために、皆さんが背負ってくださっていることがらがあります。とても意味のある事柄です。こどもたち、しょうがいのある人たちが生まれ生きて行くことももちろん意味がいっぱいあることです。私たち人間を愛するために自ら十字架の道を歩んでくださったイエス様に、十字架から降りて来い、そうしたら信じてやろう、という全く意味のない無責任な言葉を人間たちは語りますが、それは間違っていると信じています。皆さんが毎日出会い、毎日共に歩んでくださるこどもたち、しょうがいのある人たち、しょうがいのないひとたちも、皆がそれぞれ神様に愛され、守られて道を歩んで行きます様お祈りいたします。