ミカ5:1-3、ルカ2:1-20
1)宿屋には泊まる場所がなかった
クリスマス、年末年始をこれから迎えようという時に新潟県糸魚川市の火災にあって家家財を失った人々を覚えます。まだ救援の場は立ち上げられていませんが、年末までに支援が進められることをお祈りいたしましょう。わたしはちょうど小学生の頃、北海道稚内に住んでおりました時にものすごい吹雪が続き1か月間電力が復旧しなかった思い出があります。丁度クリスマスでした。真っ暗闇の中でろうそくの光だけで生活した時間、きっと大人たちは大変だったのでしょうが、私にはそれでも今でも思い出に残っている事柄でした。しかし私にはまだ住む場所が残されていましたからのんきなことを言っていられるのです。この時期住む場所さえも失われたことが雪の多い地域には生命に関わることとなります。
イエス様の誕生は元々イエス様の住むべき場所があったのに、それが奪われてしまったのではなく、元々イエス様の住むべき場所の無いところにイエス様は生まれられたことを覚えます。イエス様には最初から住むべき場所、生きるべき場所がありませんでした。それでもイエス様は生まれてくださったのです。マリアとヨセフが必死にイエス様の生まれる場所を探し求め、イエス様の生きる場所を作り出しました。しかしそこは人間の生きる場所ではなく家畜たちの住みかであり、冷たい石で出来た飼い葉桶です。はっきりしているのは、イエス様には、この人間の世界に住処はなく、生まれる場所さえもなかったということです。それでも神様はイエス様を生まれさせました。どうしてでしょうか。この小さな命が、この小さな命が生まれるということが、人間に、人間世界に必要であったからです。この小さな命の生まれることが、限りない平和と希望を人間世界にもたらすからです。平和と希望は、最初からあるものではなく、小さな命から始まっています。小さな命が生まれることから成り立っています。
2)これがあなたがたへの徴
クリスマスは、わたしたちにとって新しい始まりをもたらします。神様がわたしたちそれぞれに小さなプレゼントをくださったようなものです。大切な神様の用意してくださった小さな命が預けられました。これから始まる新しい1年間、わたしたちそれぞれに委ねられた神様のプレゼントを、私たちはどう生かして行くのか、どう用いて行くのかということです。但しこの神様のクリスマスプレゼント、飼い葉桶に寝かされた乳飲み子は、自ら私たちに近づいて来ることはありません。小さな赤ちゃんなのですから、わたしたちが見つけて会いに行かねばなりません。自分たちが探し出さなければ、飼い葉桶の赤ちゃんに会えないのです。探し出してください。飼い葉桶に眠る赤ちゃんに会ってください。私たちに与えられているヒント、徴は、飼い葉桶に寝かされている赤ちゃんです。めったにいる者ではありません。今日私たちのところに生まれた赤ちゃんは、神様がお遣わしになったこども、それは神様の愛そのものであり、神様の言葉そのものであり、神様の叡智そのものです。探し出した人には、大いなる喜びがあります。私たちの人生を導き、養う力があります。探し出しましょう。私たちに神様が生み出してくださった愛を、神様の御言葉を。すでにそれらはこの世界に生み出されています。