レビ19:9-10、マタイ25:31-46
1)靴屋のマルチン
ある町にマルチンさんという靴屋がいました。マルチンさんは最近大切な妻とこどもが死んで天国に行ってしまいました。一人残され、寂しくて、寂しくてとっても気持ちが落ち込んでいました。そんな時友達がマルチンさんを慰めるためにやって来ました。友達はマルチンさんに聖書を読むように勧めたのです。マルチさんは聖書を読み始めました。聖書を読んでいるうちにマルチンさんは眠くって寝てしまいました。すると夢の中で誰かがマルチンさんを呼んでいます。「マルチン、マルチン。明日、わたしはあなたを訪ねたいと思っているよ」。マルチンさんはびっくりして飛び起きました。今のは夢だろうか、それともイエス様の声だったのだろうか。マルチンさんはもしかしたらイエス様が私の家に来てくださるかもしれない、と思い、お家の中を掃除して、イエス様を待っていました。まだかなと思って、窓の外を見てみると、外は雪が降り積もっていました。雪かきを一生懸命している人がいました。でも疲れてしまったようです。マルチンさんはその人に声をかけて、少し休みませんかと家の中に招きました。美味しいお茶を飲んで、暖かくなってその人は帰って行きました。それから後マルチンさんが窓を覗くと、赤ちゃんを連れたお母さんが寒さに震えていました。マルチンさんはドアを開けて、赤ちゃんとお母さんを家に招きました。赤ちゃんとお母さんは体を温めて、ありがとうと言って帰って行きました。もうお昼過ぎ、イエス様はまだやって来ません。マルチンさんが外を見ていると、大きな声がしました。男の子が大人にひどく叱られています。男の子がリンゴを盗んでしまい、怒られていたのです。マルチさんは、お金をもって、男の子の盗んだリンゴを買って、これからを人のものを勝手に盗んだりしてはだめだよ、と教えて、リンゴを男の子に渡しました。男の子は、ありがとう、と言って去って行きました。さて1日が終わってしまいました。やっぱりあれは夢で、イエス様は私のところなどに来てくれるはずがないのだ、とマルチンさんは思いました。その時、イエス様の声が聞こえてきました。私は今日あなたにちゃんと合いに行ったよ。雪かきの叔父さんがわたし。赤ちゃんを連れたお母さんがわたし。リンゴを盗もうとして大人に叱られていたあの二人もわたしだよ。マルチン、あなたはみんなにとっても良くしてくれましたね。ありがとう。
2) 収穫する時には
今日は収穫感謝の礼拝です。聖書には、収穫する時には、全ての収穫を取り尽くしてはならない、と神様が教えておられます。聖書に教えられてきたユダヤの人々は、その年の初物が与えらえた時にまず神様への献げものを取り除かなければなりません。そうしないと初物は聖なるものとはならないのです。そして全ての収穫物は取ってはならないのです。残して置く分があるのです。つまり私たちの収穫物の中には、先ず神様に献げる分、貧しい人たちの為に残して置く分、そして私たちの分があるのです。全部私たちのものではないのです。私たちに与えられた収穫の中でこのことをちゃんと分けることが大事なのです。
3)私の兄弟
最も小さな者の一人に
マルチンさんのお話にありましたように、マルチンさんが出合った何人ものの人たち、その人たちが実はイエス様でもあったのです。イエス様は私のところなどに来てくれはずがない、とマルチンさんは思いました。でも本当はマルチンさんが出合った人たちを通じてイエス様と出会っていました。マタイ福音書の王様がおっしゃっています。私の兄弟姉妹である、最も小さな者の一人にしてくれたことは、私にしてくれたことなのだと。最も小さなものの一人にしてくれないのは、私にしてくれないことなのだ、と。私たちが出合う人たち、その人たちを通してわたしたちはこれまでに、そしてこれからもイエス様と、神様と出会っているのです。