2016年10月2日 朝礼拝 『キリストと共に戦う』大賀幸一牧師
ヨブ記42:1-6、フィリピ1:12-30
1)キリストのために監禁されている
今日はフィリピの信徒への手紙を読みました。この手紙を書いたパウロさんは牢獄に監禁されています。パウロさんが監禁されているのはどこだろうか、と論議されています。監禁候補地は、ローマ、エフェソ、カイサリアです。ローマであればパウロさんが第3回伝道旅行を終えて、エルサレムを訪問した時、神殿で混乱を起こしたという事で逮捕され、パウロさんがローマ皇帝に上訴し、裁判にかけられるためにローマに護送されます。この時にローマで書かれたとのではというのです。パウロさん晩年の出来事です。もしエフェソであるなら、第3回伝道旅行の前半で2年3か月もエフェソに滞在していました。少々長いのは投獄されていたからではと想像されています。ローマで書かれたならパウロはエルサレムに出かけることが最後の訪問になると預言されていましたし、死ぬことも覚悟の上でエルサレムに行き、ローマへ護送されたということです。21節、わたしにとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです、と覚悟を述べています。殺されることも覚悟の上でパウロは今を生きています。殺されたとしてもイエス様の側に行けるならそのことが望みであるのだと言っています。只パウロはまだ迷っています。全てを導かれるのは神様であり、神様がどのような道を与えられるのかまだ分からないからです。牢獄から解放されるならローマの人々に伝道する道やスペインにまで伝道したいという希望がありました。神様がどのような道を示されるのかまだ分からないため、「板挟み」状態にあると記されています。投獄されているのも全てはキリストの為であることの証しとなるためなのだと語っています。
2)塩狩
JR北海道が度重なる不祥事や今年の台風被害などで経営が傾いている中、一日一人しか利用が無かった駅を廃止するそうです。その中に塩狩駅が入っていました。三浦綾子さんが書かれた同名の小説があります。長野政雄さんというクリスチャン鉄道員がちょうど乗り合わせた汽車が機関車から外れてしまい、塩狩峠から滑り落ちるように坂を下り、あわや脱線しかかる時自らの体をブレーキとして客車の車輪に預けたというものです。長野さんが犠牲になってくれたために多くの乗客の命が助けられたという実話です。ただし昔の客車とはいえ人間一人の肉体で止めることは実際には無理であるはずです。人間以外の力が働かなければそのようなことは起こり得ないと言われています。
3)キリストのために苦しむこと
パウロさんは自分が投獄されてことで福音の前進につながったことを喜んでいます。それはパウロが投獄されたのは悪いことをしたからではなく、イエス・キリストの為であることが人々に知れ渡ったからです。本来逮捕される、投獄されるなどということは不名誉なことです。しかしパウロさんはこれがキリストのためなのだと確信しています。もちろん私たちが投獄されるということは避けたいところですが、例えば病気や様々な煩わしいことなどが私たちの人生にもあります。本来は避けたいところですが、これはキリストの為なのだと捉えることができます。それでもこれから先どうなるかは分からないのです。神様が導いてくださることですから。私たちの場合も同じなのです。たとえ病気や煩わしいことであっても、それが用いられて神様が証しされ、キリストが証しされる、それで良いではありませんか、とパウロはおっしゃるのです。私たちにはキリストを信じることもキリストのために苦しむことも与えられているからです。神様とイエス様に導かれて、キリストを証しさせていただきましょう。