2016年5月22日 朝礼拝『信仰の戦いを立派に戦おう』大賀幸一牧師

1テモテ6:11-16
1)信仰の戦い 
 信仰の戦い、信仰者にも戦いがあります。私たちが戦う相手とは何でしょうか。私たちが戦う相手、それは疑い、不信仰、神様への背信です。何故なら神様を信じた私たちは絶えず揺れ動いています。また私たちの神様への信仰を惑わし、疑いをもたらす力が実際にあるからです。私たち神様を信じ契約を結んでいる信仰者たちは誰しもこの信仰の戦いを勝利しなければなりません。それにより永遠の命を手に入れることが出来るからです。ただし注意すべきは永遠の命を手に入れる、あるいは掴み取るという意味ですが、永遠の命は人間たち自分自身の力で掴み取るものだと教えているのではありません。わたしたち神様を信じる信仰者たちの人生で目標としている永遠の命は、救い主キリストによって与えられるものです。そして私たちの救い主キリストと霊において、心において、体においてしっかりとつながることが、私たちの目指すところです。私たちのイエス様、復活であり命であるからです。命は私たちの中にあるのではない、私たちが獲得するのでもない、キリストによって与えられるものです。それがキリストが来なければならない理由です。しかし神様を信じる者たちにいつも神様を信じさせまいとする力が、わたしたちを神様から離そうとする力があることを信仰者たちは感じています。そのような力があり、働いているから、信仰者は戦わなければならないのです。神様を信じるという道は決して甘い道、簡単な道ではないのです。私たちは神様から与えられた恵みを失わないように、信仰の戦いを続けます。

2) 神様とピラトの前立派な証しを立てたイエス様 
 私たちの信仰の戦いは決して孤独な、道のない戦いではありません。既にイエス様が私たちの為に信仰の戦いの道を作っています。又もちろん聖霊がいつも私たちをサポートしてくださいます。1テモテ書13節に、イエス様が神様の前で、そしてユダヤ地方長官ピラトの前で、立派な証しをなされたと記されています。イエス様は私たち人間のために御自分も信仰の戦いをなさってくださいました。その典型が荒野での悪魔、サタンとの対決です。聖書は、実際に神様を信じる人間たちを神様から引き離そうとする力があり働いていることを示し、それを悪魔、サタンと呼びました。イエス様はこの戦いの中で、私たちが信仰者として歩んで行く3つの大事な道を示されています。一つは私たちが生きるためには神様の御言葉が必要であること、しかし人間はこの大切な神様の御言葉さえ自分たちの生活のためとはいえ肉の食べ物に変えてしまう過ちを犯しています。2つ目は神様を信じ、神様を試すような愚かなことをする必要はないという事です。ところが人間はこの愚かな道に簡単に入っていってしまします。それは人間には神様が見えないからです。近づくことが出来ないからです。ある人が信仰とは99%が疑いである。1%が希望である。これが私たちの信仰の内容である、と言ったと言われています。人間の信仰のほとんどが、疑いで出来ているのです。神様の愛を疑ってそれでもやはり神様は私たちを愛していることに気づかされる、それが私たちの信仰でもあるようです。3番目は、わたしたちが崇める、礼拝するのは神様だけであるという事です。悪魔はイエス様に対してまでこの世界を全てあなたに与えよう、ただし私を崇めるならと言う条件を付けました。人間の弱いところです。11節は、あなたはこれらの事を避けなさいと教えています。避けるべきことは、少々前に遡らねばなりません。そしてそれは富への誘惑です。人間の中にやはり富への誘惑、執着があるのです。私たちはこの世に何も持たずに生まれ、世を去る時も何も持って行くことが出来ないからです、と7節にあります。だから私たちは与えられたもので満足することを覚えるべきだと教えています。必要以上に欲しがり、執着することは私たちの命を壊してしまします。神様を信じ、礼拝するのではなく、神様に反するものを求め、それに支配されて行く人間となってしまうからです。イエス様が私たちの命のために開いてくださった信仰の戦いの道が示されています。